坂倉弘康さん

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坂倉弘康さん

坂倉弘康さん

坂倉社長の会社

坂倉弘康さんクラーク株式会社は、名古屋市にある商社で、主要商品は繊維製のネット(網)。全国の企業や行政など幅広く取引をしています。
繊維性のネット(網)を主に取り扱っており、全国の企業や行政など幅広く取引をしています。
通信販売も行っており、現在インターネットでのショップは4店舗。
取り扱っている商品は、家庭用でのガーデニング用のネットをはじめ、運動場や体育館での防球ネット、マンションや、工場、倉庫、駅等のハト避け用ネット、店舗防犯ネットなど、見逃しがちですが案外生活の身近なところで活躍しています。

「ネットの機能とは、空間を仕切ること、何かを支えること。世の中を仕切る・支えることがクラーク株式会社の仕事。」

坂倉弘康さん このように語る坂倉社長が最近力を入れているのは、野生サルの防除用のネット。
野生動物による農作物への被害額は全国で年間約200億円。
その1割近くは野生のサルによるもの。
針金を編みこんだ繊維ネットとロープを組み合わせてフェンスとし、電気ショックを与えることでサルに恐怖心を学習させることで防除をはかるというものです。
感電の瞬間ショックを感じるものの、ケガをさせることなく人間と野生の共存をはかるシステム。
2月21日に鳥獣被害に関する特別措置法が施行され、現在は、農林水産省のホームページで紹介されるなど非常に注目を浴びています。

多岐にわたる取り扱い製品の良さや使用方法を伝える手段として、インターネットを活用することに力を入れています。
複数の切り口でネットショプを多店舗展開、日本中の方々に、クラークの取り扱い商品の良さを知って、使って、喜んでいただくことを目標として、取り組んでいます。
社内でも非常に伸び盛りの分野として注目を浴びています。

坂倉弘康さん

坂倉社長から見る長野とは

長野県は愛知の隣でもあり、取引をしているお客様も多く、身近に感じています。
山並みや風景がゆったりしており、心が緩み和みます。
とても景色がよく、四季を通じてそれぞれの良さを楽しみたい。
仕事でしか訪れる機会が無いが、ゆっくりと温泉へ行きたい。
雪見酒。四季折々の温泉。。。やはり好きなものに期待をしています。

善光寺をはじめとして、古い建物が残る街並みが見られますし、街づくりにも力をいれているようです。
「街づくり=人づくり」
“地元を大事に、愛着を持つ”
そういった人や仲間を増やして、それを若い人が引き継いでいくことが大切だと考えています。 地域に閉じ込もったものではなくて、オープンなコミュニティを持つことが大切でで、そういった意味でもインターネットを活用することが大事だと思います。
“長野だから”という狭い範囲でのコミュニティではなくて、グローバルな中での長野が広い世界のその一端を担っていくべきだと考えます。

坂倉弘康さん “Think globally,Act locally”
世界中のことを考えながら、自分の街づくりのことを考え行動する、志を持つ人に引っ張ってもらいたいと思います。
私の応援しているAIESEC(アイセック)のシステムを使って、長野の企業の方々が海外の学生のインターンシップ生を受け入れたり、長野から学生さんがインターンシップで海外へ出て行くこともそのお役に立つかもしれません。
全く違う風俗文化の中で、そこに住む人と触れあうことが、その後の人生にとってとても貴重な経験になります。
地元の学生や若い人たちにとって海外の企業で働く体験ができることはとすばらしいことです。
楽しく為になる仕掛け、価値が作り出せる人の繋がりを持って欲しいと願っています。
そうした活動や長野として持っている情報をもっともっと日本全国に、そして全世界に発信、アピールをしていってもらいたいと思います。

これから・・・

坂倉弘康さん 社員、お取引先、地域の人がクラーク株式会社と出会ったことで「良かったな」と思って頂ける人が一人でも増えると嬉しく思います。
そんな出会いを通じてお互い成長して、より充実した人生を送れる場が提供できたら幸せです。
個人的に昔から競争は苦手なので、当社独自の製品、サービスを開発、探索、提供し、世の中の皆様に喜んでいただければと思います。

いつか引退する日が来るとしたら、遺跡の発掘をしたいと思います。化石よりも古代の遺跡。
大昔の人々の生活のあとを見て、何千年前の生きた証に触れたいものです。

これまでの歴史があって今がある。
今があって未来があることなので、歴史を自分なりに理解をしていくこと、自分なりの認識を持つと、
お互い一人の世界市民として付き合うことが出来るのではないかと思います。

これからもネットをお届けすることによって
Earth-conscious Human-conscious=地球環境と人の生活を守ることの一端を担っていきたい

と思います。

略歴

昭和35年4月20日岐阜市生まれ。
牡丹の花の季節で、生まれたときに、祖母が母のところへ牡丹を一輪持ってきてくれたそうです。
生まれてから3年間
大阪での生活。治安の悪いところだったのか3回も泥棒に入られました。南海ホークスの杉浦投手が近くに住んでいたと聞いたことがあります。
3歳から10歳の12月まで広島で生活
今まで住んだどの街より平和を求め、行動する街でした。夏の夜に、町内会で 被爆直後の米軍のカラー記録映像を見る機会があり、幼心に大きな衝撃を受けた。
それがその後の価値観のインフラである「世界平和」につながった。
10歳から、京都で2年ほど生活
中学受験の最中で、よく塾通いをした。母が内職をしていたのを覚えている。苦労をかけたと思う。
中学に入学するのと同時に名古屋へ
父親が起業をし、クラーク株式会社を設立。当初よりこの社名。
社名の由来は、父の「人生苦あれば、楽あり」という人生観から来ている。
国際的学生組織の運営に関わる
大学生のときに、AIESEC(アイセック)= 海外インターンシップを運営する国際的学生組織の運営に関わり、自らも、当時のユーゴスラビア(現在のクロアチア)で1ヶ月ほどインターンシップを受けた。
滞在していた学生寮の水道から水源の藻の混じった緑色の水が出てきたことにびっくり、世界の広さを実感。
鋳物メーカーの貿易部で体験を積む。 その後、現在に至るまで約四半世紀にわたり、アイセック応援し続けている。
電機メーカーに就職
入社後すぐに海外研修生としてエジプトのカイロで2年間経験を積む。
異文化に触れることができ、非常に良い体験ができた。
サウジアラビアのジッダからエジプトのスエズまで船で渡るという、当時日本人としては珍しい経験をする。

帰国直前に現地で治安警察部隊の暴動があり、陸軍が鎮圧。
生まれて初めて銃声と砲声を聞く。
日本がいかに平和で恵まれた国であるかという認識を強く持った。
帰国後は海外営業担当として北米、中南米向けのマーケティング業務に従事。

平成3年 サラリーマンから、クラーク株式会社へ入社。
平成8年 同社代表取締役就任。 現在に至る。

AIESEC
http://www.aiesec.jp/
海外の企業で就業体験をつむ「海外インターンシップ」を運営する学生組織。
1948年設立。
現在100カ国以上が加盟。

記事協力
クラーク株式会社

記事・写真:島崎広和


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